- スポーツライター・小宮良之のブログ -
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2007.12.24 Mon 12:16
スピンオフぜよ!すべてはつながっているのだ・・・。
ダイヤモンド社から出版した「RUN」、好評発売中なのですが、スペインを舞台に活躍する福田選手。昨季まで彼が在籍したヌマンシアは2部首位を走っているのですが、その原動力になっているのがファンカルロス・モレーノです。モレーノ、「RUN」にも登場しているのですが、都合上、彼自身のキャリアにはほとんど触れていないモノの、その人生はなかなかに魅力的で。
スピンオフというわけではないですが、彼について書いた原稿を紹介します。

バルセロナで生まれた彼は、サッカーが好きで仕方がなく、週末になれば地元
の雄、バルサの試合中継にかじりつく、どこにでもいる子供の一人だった。だが、
少年は幸運にも才能に恵まれていた。彼がFCバルセロナのユニフォームを着る
ようになったのは10才の頃だった。左ウィングとしてすべてのカテゴリーを順
調にステップアップ。ドリブルから一気のダッシュで相手を抜き去るプレーは同
じ年代の選手と比べて際だっていた。
 19才になると、1995-96シーズン当時ヨハン・クライフが率いていた“ドリームチーム”に召集された。「左利きだからマラドーナに憧れていた」と照れ臭そうに笑う男は同シーズンのコパデルレイでプロデビューを飾ると、鮮やかに2ゴールを叩き込んでいる。
 それは一つの夢の結実だった。
 バルサのカンテラはマシアと呼ばれ、入団するのはエリートだが昇格できるのはほんの一握りだ。さらにトップでプレーするまでには凄まじい難関が待つ。スペインから集まる有力選手と外国人とのポジション争いが加わり、才能と努力だけなく神に祝福された運も備わっていなければならない。そして少なくともその時点で、彼は間違いなく運に恵まれていた。
 クライフが若手を鍛え上げて新時代を作ろうとしていることも追い風になり、彼は新世代を担うピースの一つになるはずだった。
「でも、運が良かったのはそこまでだったんだ」
 現在はスペインの2部、ヌマンシアでプレーするホアン・カルロス・モレーノは表情に苦みを滲ませて振り返る。
 1996年4月、アスレティック・ビルバオ戦。モレーノは走っていると突然違和感を覚えた。気合いが入りすぎていたのか、何らかの医学的理由があったのか分からないが、相手選手と接触があったわけではないのに膝に激痛を感じ、うずくまった。試合後、ドクターが申し訳ない顔で右膝十字靱帯が切れていることを伝えてきた。目の前が真っ暗になった。少なくとも半年は安静が必要で、思い描いていた夢はリセットされた。
 すべてが暗転していった。
 その後、バルサに居場所をなくしてアルバセテ、レクレアティボ、ジェイダ、テラサ、そしてヌマンシアとチームを渡り歩くことに。カンプノウの大観衆から2部の閑散としたスタジアムでプレーすることを余儀なくされた。現在所属するヌマンシアも、人口わずか3万人の小さな街、ソリアを本拠とする2部のクラブに過ぎない。故障は彼の運命を大きく狂わせた。
 しかし32才になった彼は、むしろ幸せそうな表情を浮かべて語るのだ。
「たしかに故障をしてからはツキがあったとは言えないよ。デラペーニャやセラーデスと同期で、“バルサの選手として活躍しよう”と誓い合っていたことを懐かしむことだってある。なにより、トップに昇格してグアルディオラやアモールのような一流選手とやれることは本当に幸せだった。でもだからと言って、自分のキャリアに後悔なんてないんだ。今僕はヌマンシアでプレーして、人々から愛されていることを感じるし、その愛情に何とか報いたいなと思っている。毎日が充実しているし、モチベーションも高いよ。これからもやってやるぞ、と言う気持ちで一杯なんだ」
 実はヌマンシアは彼がバルサの選手として2得点を上げたコパデルレイの対戦相手だった。これも何かの因縁なのか。フットボールの世界は見えない絆で固くつながっている。ヌマンシアは現在1万人近く収容する立派なスタジアムを持っているが、モレーノがプレーした当時は、現在練習場として使っているピッチが試合用だったという。人は動き、時流も動く。
「ヌマンシアは家族のようなチーム。そこが強さでもあるかな。2006-07シーズン、チームは一時昇格が可能なゾーンにいたし、もっとできるはずだと思うんだ。昇格を狙いたいね」と彼は語るが、来シーズン、モレーノはヌマンシアの選手として5シーズン目を迎える。すでにソリアという街を自分の家のように感じ始めている。ソリアに自宅を購入したのは覚悟の表れと言える。
 流転の人生にもがきながら得た安住の地。
「僕には日本でプレーしていた可能性もあってね」
 唐突に、彼は逸話を披露した。
「横浜フリューゲルスでレシャックが監督をしていたときだったかな。契約する寸前まで行ったんだけど・・・何が起こったのか、最後の最後で交渉が流れてしまって。僕はアルバセテにいたんだけど、気分を一新して新しい挑戦をしようと行く気満々だったんだけどなあ」
 ほんのわずかに運命がずれていれば、彼は今も日本にいたかもしれない。日本は彼の家になっていただろうか。彼にそう問いかけると、流転するフットボーラーは両肩を上げて、さあね、と笑うだけだった。

駒草出版から発刊した「西の都、流転の星」に収録されています。
1月にはモレーノのヌマンシアと福田選手のラスパルマスが激突。
今度はドラマが紡がれるのか。
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