- スポーツライター・小宮良之のブログ -
--.--.-- -- --:--
スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
スポンサー広告 | CM(-) | PAGETOP↑
2008.04.29 Tue 22:39
体育の授業の柔道着、どこに行ったのか?
北京五輪の100キロ超級代表、全日本選手権で2年ぶり2度目の優勝を果たした石井慧(国士大)クンに決まりました。
「勝ち方が釈然としない」「全日本の決勝らしくない」とさんざんに言われ、本人も「こんな柔道しかできず」と涙を流しながら悔しがっていました。
これ、プロスポーツ的視点で見ると、かなり不思議な光景であります。
一本勝ちを良しとする武道精神、そこに柔道の神髄はあるのでしょうけど。
潔さこそが尊ばれるべきもの。その意味で、勝つだけでは物足りないというわけです。
でも、柔道をスポーツ競技としてみるならば、優勝と言う事実はもっと讃えていいのでは、とも思います。強豪が揃い、総合力で拮抗する中、若い彼が勝つ手段を見いだし、見事にやり遂げたわけですから。
スポーツと武道、この境界線は曖昧なだけに、難しいです。

でもとにかく、北京でも頑張れ、石井くん。

2004年夏に国士舘高校の柔道部だった石井くんのインタビュー、蔵出しです。
とっても純真で、個性的な印象が残っています。
あれから4年か。光陰矢のごとしでござる。

 名門、国士舘高校柔道部。100kg級で大将の系譜を継ぐ石井彗は、悪びれることもなくいう。
 -将来は?
 「オリンピックで金メダルを取って、『PRIDE』に行きます」
 -憧れの柔道家は?
 「秋山(成勲)さん。僕、清風中学(大阪)なんですけど、秋山さんは先輩でよく教えてもらっていたんで。今でも試合前に電話をもらったり。まず、元気を出していけって」
 -金髪にはしないの?
 「・・・学校の決まりがあるので・・・」
 人なつっこく笑う。
 -音楽は聞くの?
 「ケツメイシ。『涙』にはまっています。昔はラッパーを目指していたんで(笑)」
 -ところで、彼女はいるの?
 「いません。今は興味ないです。強くなれば寄って来るんで(笑)」
 -それこそ、PRIDEにいってから?
 「そうです!」
 お調子者なのか、人を楽しませる余裕か。しかし、柔道着を着て、すり足で技をうかがうときは、闘う男の顔を浮かべる。彼の周囲には凛とした空気が張りつめる。二つの違う顔。ただ大言壮語が吐ける自信の裏付けが、彼にはある。「趣味は?」という問いに、彼は「ジムワーク」と答える。130㎏のベンチを軽々と上げるその腕力は、高校生のレベルではない。
 そして彼が体をいじめ抜けるには秘密があった。
 「はよせい!」。石井は監督からそうどやしつけられると、こちらにぺこりと頭を下げて、畳の上を小走りに去っていった。蓄積した疲労回復のために、ビタミン注射を打つことになっていた。その後には高酸素を吸うメニュー。どれだけ猛練習をして筋肉が悲鳴を上げていても、高濃度の酸素室に入れば、しばらくすると体は鋭気を取り戻し、以前よりもパワーアップする。
 国士舘=根性論。その方程式は叩きのめされていた。アテネ五輪100㎏超級に出場する鈴木桂治など数々の柔道家が、科学的な強化を取り入れた環境で育て上げられている。しかし、それは一朝一夕ではなかった。名門の苦悶。国士舘高校柔道部監督であり、1年生のスポーツクラスの担任も務める岩渕公一は明かす。
 「たしかに昔は練習しながらけがを治せ、というような厳しい風潮がありました。もちろん、それは大事なことでもあるんですが。それだけでは勝てんのですわ」
 昭和52,53年には斉藤仁(ロス五輪金メダル)を擁して日本柔道をリードするも、当時高等部の監督だった川野一成(現在は学校長で、中等部の監督)が脳血栓で倒れ、国士舘大学4年生で国体選手だった岩渕が代行監督を任されることに。しかし、2,3年はスカウトもままならず、チームは一気に弱体化した。ライバル世田谷学園が、中高一貫の厳格な指導で強い選手を育て上げるのを、歯ぎしりする思いで眺めるしかなかった。
 「だから、我々は預かった子は全員やめない環境を作ることにしたんです」
 岩渕は決断を下した。最高の環境で選手を鍛えるために、空調設備を整えることを学園に求めたのだ。学園寮も4人部屋から2人部屋になり、寮の食事も他校の生徒が「オイシイ」と感嘆するほど充実させて栄養面を気遣い、「これからの柔道にはパワーも必要」と考えれば、トレーニングマシンを積極的に取り入れた。道場では「後輩も先輩もない」と謳い、上下関係を排除することで競争心を培った。
 「10年かかりました」。25年間柔道部と向き合ってきた男は振り返ったが、その結実は95年からインターハイ10年連続決勝進出であり、今年7月に2年ぶり4度目となる優勝を果たした金鷲旗だった。「私が学生時代?世の中で一番怖いのは先輩でした」。岩渕はそういって日に焼けた顔をほころばせた。教師生活25年。かつて生徒に「鬼」といわれながら国士舘を支えた男の面影は国士舘の気風となり、生徒たちに受け継がれる。
 「国士舘の気風?やっぱり先生や先輩方の人間性が生徒に伝わるんだと思います」
 金鷲旗で10人抜きをやってのけた国士舘高校の先鋒。キャプテン、野瀬光洋は説明する。スカウトされたのは小学校6年生の時だった。それから国士舘中学に進み、国士舘高校3年生に。
 「僕も外から見たときは、コクシカンは怖いイメージでした。けど、入学したらそれが違ったんです。筋が通っていれば、先輩は少しくらいふざけても大丈夫だし、暴力的でもない。やめたいと思ったとき?メンバーから外れたり、試合に負けたときは落ち込みますけど・・・やめたいというのはないっす。そこで諦めずにやり続けて、試合に勝ったときが嬉しいんですよ。そういう瞬間を知ってしまうと、やめられない」
 主将は「将来はスポーツ科学の勉強がしたい。マスコミにも興味がある」といい、「五輪は考えていませんよ」とことわり、「柔道を通じて人間的に大きくなりたい」と涼やかにいう。そして大切なものを愛おしむようにいうのだ。
 「きついと思うこともあるけど、きっと大人になって仕事を始めたら、戻りたくなるんじゃないですかね。なんか、青春って感じでしょ?」
 慣れた手つきで携帯メールもするし、TVゲームの「ウィニング・イレブン」にはまる。28人の柔道部員が生活する寮では、ドラマ『世界の中心で、愛を叫ぶ』が人気だという。主演女優は羨望の的。「高校生でしょ。主人公に感情移入できるんですよね」。キャプテンは少し照れたようにいう。
 「軟派だ」。あるいは。昔日の国士舘を生きた先輩は眉をひそめる。根性論は科学に敗北し、男臭さはエアコン設備によって失われ、先輩が後輩を子分のように扱う旧体制は、節度を保った友人関係に取って代わられた。だが、国士舘の伝統は失われてなどいない。野瀬は悟った。
 「自分は弱いなりにしぶとい柔道を突き詰めたんです。そして分かったんです。地道に努力していたら、結果は出る場所なんですよ、ここは。そういう先輩をたくさんみてきましたし。自分もそうでした。これが伝統の強さっていうんですかね」
 日章旗が掲げられた道場。学生たちは自分の限界を探り、それを突き抜けようと汗を流す。蝉の声が微かに聞こえる。道場の隅には「克己心」という薫陶が額に収められ、生徒たちを鼓舞する。とある夏休み。朝9時から約3時間続いた練習が終わり、岩渕先生が気合いを入れようと、インターハイを控えた選手の頬を軽くびんたした。すると、イタッという声が響く。部員たちから、淀みのない明るい笑いが漏れた。
お知らせ | CM(0) | PAGETOP↑

★ COMMENT

★ COMMENT POST













copyright © 2007-2016 estadi14. all rights reserved.
 |ADMIN
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。