- スポーツライター・小宮良之のブログ -
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2009.01.10 Sat 01:45
女傑。
スピードスケートのメダリスト、岡崎朋美選手が1月の世界スプリントの代表に滑り込んだようです。
全日本スプリントではかなり苦戦した様子ですが、37歳という年齢でスピード競技を続けるというのはもはや奇跡です。
「運動生理学上、女性は年を重ねるたびに丸みを帯び、脂肪をため込む傾向がある」という話を聞いたこともあるので、なおさら。
感服。あっぱれです。
岡崎さん、トリノ五輪で取材したんですが、離した印象は女傑。美しい容姿は一枚はぐと、鋼鉄の精神とそれにそぐう肉体で。
トリノ前の取材原稿の蔵出し。

 ジーンズを軽やかに履きこなし、黒のニットにグレーのワンピースをシックに重ね着する。肩まで垂れた髪の毛は、嫌みがない程度に茶に染められ、毛先にはウェーブがかかり、胸元にはネックレスが揺れる。真っ赤なトレーニングジャージから私服に着替えた彼女は、より女性らしくなっていた。こぼれるような笑顔が人を和ませる。世の男性ファンを虜にし、女性ファンに共感を呼んだ『朋美スマイル』は、彼女のトレードマークの一つだ。
「実は過去3回の五輪を振り返ったら、全部(髪型が)ショートなんですよ。長いと邪魔くさいし、“気合いだ”と言うのもあったからばっさりと切っていたんですけど、たまにはいいかなーと思って。トリノでは三つ編みにして滑ろうと思っています。ポニーテールにすると帽子をかぶったときに突っ張るんですけど、三つ編みは髪の毛が下に行くので楽なんですよ。トリノに行く前にカットしてもらうことになっているんですけどね」
 世界的祭典であるトリノ五輪を1ヶ月前に控えた競技者は、幸せな予感に心躍らせるように言った。力みはないように見えた。
「私はいい人生を送っていると思いますよ」
 34歳、スピードスケーター。岡崎朋美は自身4度目となる五輪に挑もうとしていた。

 2005年12月27日、全日本スプリント選手権。
 長野市内、エムウェーブのリンクに立った岡崎は500mで1位になる。この日叩き出した38秒36という記録は大会レコードとなった。1000mでも1分17秒78で2位に入る健闘。34歳になったが、関係者によれば、「まだまだ進化を続けている」という鉄人ぶりだった。28日も500mで2位、1000mでも2位に入賞すると、リレハンメル、長野、ソルトレークに続き、トリノ五輪代表選手に選出された。
「トリノで花を咲かせたい」。彼女は艶やかに言い放った。
 98年長野五輪、岡崎には「メダルは最低条件」という重圧が突きつけられていたが、500mで見事に銅メダルを獲得する。2002年ソルトレーク五輪ではその2年前に椎間板ヘルニアを患い、メスを入れたばかりだった。だが、驚異的な復活劇を演じ、同じく500mで日本人最高位の6位に入賞している。オリンピックという大舞台になるとプレッシャーに苛まれる日本人が多い中、彼女のタフさは異端に映る。
「私は五輪にのまれない。なんか五輪会場に行くと楽しくなるんですよね。五輪マークがたくさんあって、それを見るだけでテンションが上がる。“プレッシャーがすごいでしょう”とか言われますけど、深く考えないと言うか、出られたよろこびで走っていますから。それに五輪村に入ったら、焦っても遅いんですよ。自分の場合、会場に行ったらもう気持ちは据わっちゃっている。トリノも、代表選手に選出される前から滑るイメージを練ってきましたから、もう準備はできているんです」
 彼女はしばしばイメージトレーニングに没頭する。理想とするレースで表彰台を掴むイメージ。あるいは、最悪のレース展開も頭に描く。
「ふっとバランスを崩すだけで、タイムを落としてしまうのがスプリント競技ですから。漠然とやっているわけではないんですよ。おかしくなりそうなポイントというのはいくつかあるので、そこでおかしくなった時にどう立て直すか、というのは頭の中で何度もシュミレーションしています。例えば、スタートで遅れたらどうしたらいいのか。失敗に萎縮せずにいかにリカバリーするか、そういうイメージトレーニングも大事なんです」
 だから部屋で一人でいるときは、色んなシチュエーションを頭に巡らす。常に滑ることが意識にある。彼女はスケートと暮らしている。
 朝食を取ると、8時にはリンクに向かう。1時間程度の入念なウォーミングアップ。製氷時間を含め、2時間半ほど滑走する。クールダウンもジョギングを15分間するなど長めに取る。昼食後はしばらく体を休めるが、午後3時から6時くらいまでは陸上トレーニングで筋肉と対話する。ランニング、ウェイト、自転車・・・やるべきことはいくつもある。夕食を終えると、選手たちと団らんをし、部屋に戻ればテレビをつけながら柔軟体操をし、長めにお風呂に浸かって体をいたわる。
 そうして夜は更けていく。
「今は恋人がいても、デートに誘われたら困るかもしれません。練習で追い込んでいるから休日は体を休ませたいので。せっかく一緒に出かけてもぶすっとしていたら悪いです」
 岡崎はそう言って天真爛漫に笑うが、運命的にスケートと遭遇したのは、小学校に入学してからすぐのことだった。
「近所のスケートリンクに行ったんです。靴はぴったりのがなくて、つま先に綿を入れて紐でぐっと縛って履きました。最初はどうやって氷の上に乗ればいいのか分からなくて。そのとき、リンクで太ったおばさんが結構上手に滑っていたんです。それを見て、あんな感じで滑ればいいのかな、と見よう見まねで氷に乗ったら、滑れたんです。よたよたでしたけどね」
 彼女はそこからスケートに親しんでいく。何十年も競技者でやっていこうという欲も、世界の頂点に立ってやろうという野心も最初はなかった。中学、高校時代、クラブ活動としてただ滑ることを楽しんだ。「友達作りの一環でしたね」。高校3年のインターハイではメダルを狙うも惜しくも4位。競技者としての自分には限界を感じると、先生には「卒業したらフツーにOLやります!」と宣言した。ただ、頭の片隅で後ろめたさを感じていた。
「自分はもっとできるんじゃないか」
 そんな時、富士急(現所属)の長田監督から“卒業後はどうするんだ?もしどこも行くところがないんだったら、ウチにこないか?”と薦められる。彼女は翌日にはOL宣言を取り下げていた。
「中2の時でしたかね。実業団の人に混ざることがあって。そこで橋本聖子さんと練習する機会があったんですよ。TVでしか見たことのなかった人に会えて、やっぱり世界に行く人はすごいな、と思っていた。その橋本さんがいる富士急で練習して、自分の能力がどこまであるのか見極めたくなった。肉体の限界をみたいと思ったんです」。その探求心は、考えてみれば凄まじい。美しい風貌が、着ぐるみではないかという錯覚を受けるほどに。
 34歳になった岡崎のトレーニングに、期待の若手たちが全く付いてこられない。例えば氷上での200mダッシュ。岡崎は20本をこなすが、若手は10本も終えられずに音を上げる。もちろん、彼女も軽々と20本を滑るのではない。10本目からはきついのだ。12,3本目にはへろへろになっている。しかし、岡崎はそこから意識を覚醒させる。そこで頑張れば、力が付くと確信しているからだ。彼女は自分を極限まで追い込んでいく。
「若い人を見ていて、厳しさというのはまずないな、とは感じますね。ダッシュでももっとがんばれるのに、ぴゅーっと脱落していっちゃう。今の子たちはもち上げられてやってきているからか、ここぞと言うときに弱さが出ちゃうのかもしれません。失敗すると誰かのせいにしたり、なんでも人任せにする癖みたいなのがある。スピードスケートというのは個人競技で、すべては自分の責任だと私は思っているんです」
 話し方はソフトだったが、そこには第一人者として走り続けてきた女の意地が窺えた。
 男子スピードスケートの清水宏保には、シンパシーを感じると彼女は言う。二人でスピードスケート界をリードしてきたという誇り。どちらかが大会で活躍することで、それに引っ張られるように片方も結果を残してきた。同士と表現するような仰々しいものではないが、絆は感じる。
「ヒロヤスとは同じ道を歩んでいる気がする。昔の彼はぴりぴりして、ちょっと近寄りがたい雰囲気を醸し出していましたけど、最近はいろいろ話すようになりましたね。スケートは個人競技だから連帯感というのはあんまりない。けど、誰かがいい記録を出すと、後に滑る選手に連鎖する。だからトリノも誰かが誰かに刺激されると言う展開になるといいんですけど・・・まあ、ヒロヤスには、あなたがあんまり活躍すると私の活躍が消されちゃうでしょ、と言っています!」

 2005年12月9日、トリノ五輪スピードスケート会場となる「オーバルリンゴット」。スタンド部分はまだ建設中で溶接の匂いが鼻についた。ふと見ると、氷にも埃など不純物が混ざっていて、五輪までには20cmほど削って新しい氷が張られることになっていた。大会関係者が間に合わせたこけら落としのW杯。初日500mで3位、2日目は2位という結果を残した岡崎は、工事の出す埃に喉を痛めながら好敵手を認識した。2日目こそフライングで失格になったが、初日パワフルな滑りで優勝を果たした中国の王蔓利だ。
「王は技術よりもパワーが凄い。ただ、私も全日本の状態で入れれば、いい勝負ができると思います。トリノは高速リンクではないので、狙うのは記録よりも順位ということにかもしれません。それでも37秒台は出したいし、出せると思う。彼女に勝てば、自ずと金メダルの可能性も浮上してくるというのは確かにありますから」
 スピードスケート界の女王は決意を語る。
「34歳になって、こうしてやれると思っていなかった。ここまでくるにはいろんな人にお世話になったし、恩返しもしたい。その意味で、トリノは準備が整った大会だと思っています。体力的にも、脂肪が多かった長野の時よりもいい。ソルトレークはヘルニアの後だったし・・・。手術後は年に2回MRI診断を受けているんですが、医師からは“どんどんやっていいよ”と励まされています。自分の一番いいスケーティングをして勝負すれば、結果は付いてくるかなと。とにかく楽しく滑りたい」
 彼女は“生きるように滑る”。究極のゾーンに自分を追い込んで得た悟りの境地。永遠のスケーターは滑ることを止められない。
「自分は自分の道を選択しただけだと思っています。人は生きている時間は決まっているもので、その中で何かに出会えるというのは幸せなことだと思っています。私にとってはそれがスピードスケートだったんです」
-では、トリノ後に何かしようと考えていることはありますか。
 彼女は溌剌とした声で即答した。
「何にも考えていないです。トリノでは今ある私の全エネルギーを集中させるつもりですから。それで一仕事を終わらせたら、休みたいですね。充電期間に入ります」
 2月、彼女はトリノで全身全霊を擲つ。すべてを出し切った後のことなど、彼女にも想像はできない。34歳のスピードスケーターはいないし、そもそも腰にメスを入れて復活した選手は存在しないのだ。北の都で、岡崎は未知の領域に踏み込んでいく。
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