- スポーツライター・小宮良之のブログ -
--.--.-- -- --:--
スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
スポンサー広告 | CM(-) | PAGETOP↑
2010.05.12 Wed 11:40
2006年11月。
2006年ドイツW杯後、「中田英寿の後継者たち」という連載インタビューの2回目。
蔵出し。
中村憲剛選手。
グアルディオラのプレーを饒舌に語る彼の姿は、無邪気で、素敵だった。
あれから4年が過ぎようとしている。


 川崎市、麻生グラウンドに秋の陽光が降り注ぐ。辺りは静まり返り、ユニフォーム姿の選手たちが引き上げた後だった。前日に26才の誕生日を迎えていた痩身の青年は、誰もいなくなったピッチの片隅で、少し恥ずかしそうにポーズを取り、ファインダーに収まっていた。
「オレ、写りやばくないですか?」と心配そうに呟く。だが試し撮りのポラロイド写真を手に取ると、ふと満足そうな笑みを零す。「これ、オレじゃないみたい!」とにんまりとした表情を浮かべる。その様子が自然で、気取ったところがなく、取材陣たちを朗らかな気分にさせる。
 撮影が一段落し、クラブハウスに戻ろうとすると、彼は待っていたファンに声を掛けられた。差し入れ、と手渡された清涼飲料水を、頭を下げながら礼を言って受け取る。
「サポーターの人たちがクラブを支えているのは感じますよね。特にぼくみたいな選手は感謝してプレーしないと」
 彼は思いを込めるような口調で呟いた。
 今季、優勝争いを演じる川崎フロンターレにおいて、中村憲剛の活躍は目覚ましい。広角にパスを散らし、鋭いくさびのボールを入れる。ぐさりとえぐるスルーパスは異彩を放っているし、機を見てドリブルで上がって撃つミドルは豪快そのもの。8得点はボランチとしては傑出した記録と言える。ゲームを作り、パスを打ち込み、得点も狙えるJ屈指のボランチとして、名声は高まる一方である。
 10月28日、29節京都戦。中村は最終ラインの前に構えると、虎視眈々とプレーしていた。それは9月に犯した失敗の反省からだった。磐田、ガンバ大阪、広島と勝ち星がなく、3試合で11失点。今シーズンは相手を圧倒する攻撃力を得ていたこともあり、いつの間にか、守備を疎かにする傾向があった。初タイトル奪取と力を入れていたナビスコ杯も千葉に3失点で敗れ、守備の建て直しが図られた。
「まずは守備を固めよう、と言うことになりました」
 中村がDFに力を入れ、チームを操るようになると成果はすぐに現れた。大分、甲府に連勝、首位攻防戦の浦和戦も敵地で引き分け。京都戦も、中村は相手の攻撃の目を潰しただけでなく2アシストを決め、勝利に貢献していた。残り5試合、首位浦和には勝ち点差3になった。
「もちろん、諦めていません。他がどうというのではなく、自分たちのサッカーをするだけです」。胸を張って言う痩躯には、淡い品格が備わり始めている。
 今年10月、中村はガーナ戦で日本代表にもデビュー。インド戦では中距離から威力あふれるシュートで初先発初得点を記録した。
「オシムジャパンと言われてもまだ2試合だからぴんとこなくて。でも川崎でのプレーが呼ばれたわけだからそれは出していきたい」と謙虚だが、新生代表においても急速にその地位を固めつつある。
 しかし、ドイツW杯が終わるまで彼の名前を知る人間は限られていた。
「オレは無名っすから」
 彼は悪びれずに言った。
 
「小学校の卒業文集には、将来の夢はプロサッカー選手に書いたと思います。けど、なりたいけど、なれるわけがないと思っていました」
 中村は肩の力を抜いた様子で説明する。
「Jリーグが始まったくらいの頃で、漠然とTVで試合をみてたりして、凄いな、とは思っていんですけど、自分がなるのは無理だろうと。ひたすら試合をして、点を取ったりする、と言うのが楽しいなとは思っていましたね。誰に言われるというのではなく、自然とトップ下みたいなポジションをやっていていました。パス出しよりは、受けてドリブルしてゴールをするのが嬉しかった。とにかくサッカーできるだけで楽しかったんです」
 一学年上には小野伸二、稲本潤一、高原直泰、小笠原満男ら黄金世代と称された選手たちがいる。彼らは99年にはワールドユースで準優勝を経験し、世界の檜舞台に立っていた。一方で中村は無名の存在だった。高校時代は、背が伸びずに苦慮していた。高1時代の身長は154cmで、体格的に上回る選手とやった時にどうすれば勝てるか、そればかり考えていたという。
「自分は小さかったので、工夫してプレーしなければ大きな相手に簡単に潰されちゃう。だから練習からどうすればボールを相手にさわられないでボールを受けるか、を考えていましたね。例えばボールを受ける前に、一度相手の視野から消えたり、どこにいたら相手がいやがるか、とにかく裏をかくような動きをいつも意識していました」。その後、身長は伸び、サッカーをずっと続けたい、と言う気持ちはますます強くなったが、プロになるという野望は沸いてこなかった。
 中大サッカー部に入ったのも「小さい頃からこれだけサッカーにどっぷり浸かって、離れたくない」という野心なき理由だった。
「入部してすぐはドベ。ぼくはスピードも、パワーもなかったし、周りを見回すと高校時代はサッカーで有名だったんだな、と言う人ばかりで。みんなにとっては普通の練習がぼくにとっては中身が濃くて。だからプロなんて考えるだけでもおこがましかったんです」
 大学3年の時だった。彼は地道な努力を重ねて背番号10を付けてプレーするようになるも、関東大学リーグ1部に在籍していた名門を2部に降格させている。50年以上、守ってきた1部の伝統を汚した・・・中村は、「自分が戦犯だ、と言う気持ちは強かったです。周りもそう思っていたはずだし」と自責の念に駆られた。降格が決まった晩は、浴びるほどに酒を飲んだ。
「当時は、大学サッカーがぼくにとって世界のすべてだったんで」
 だが飲み明かした翌日、新たに4年生となる選手たちと話し合いの場を持った。来シーズンに向けて1部昇格を仲間たちと誓っていた。2002年、それは日本のサッカーシーンが日韓W杯で華やかな盛り上がりを見せていた年だった。
「大学4年の時は、1部に上がることだけを考えていました。就職活動もあったんですけど、チームを抜けたくなかったんで、リクルートスーツも一度も着なかった。その頃初めて、プロ選手になろう、と考えるようになりました。主将としてプレーするようになって、結構アシストも決めて。2部ではあったんですが、結構やれているな、と自信もついていました。1,2年の時はJのサテライトと練習試合をしても歯が立たなかったんですけど、Jのクラブと練習をしてもできなくはない、と言う感覚を掴んでいて。コーチにJの練習に参加させてもらうように頼んで、それが川崎だったんです」
 中村はその年の暮れ、中大を1部に復帰させている。卒業後、川崎に入団。野心の芽生えは遅かったが、それでも彼は夢でしかなかった舞台に立つことになった。雨だれ石を穿つ。それが彼の流儀なのかもしれない。
「オレは先を見てやるよりも、地道に一日一日を生きていくタイプだから。そのスタンスはプロになってからも変わっていないし、これからも変わらない。だから2010年W杯というのも実感はないというか。まずは普段の練習からやらなければ、先なんてなにもないから。オレは昔からそういうスタンスなんです」

 クラブハウスでのインタビュー。中村と話していて気づかされることがあった。フットボールの話に没頭すると、恥ずかしがり屋な表情はどこかに消え失せ、情熱的な一面がせせり出る。彼はサッカーの話になると、恋人のことを語るように昂揚する。
「バルサにいたグアルディオラは、チョー好きでしたね。見事なまでにボールを収めることができて、しっかりつなぐことができるから味方も信頼するし、もうビデオで何度も見ましたよ。中盤にいる彼からプレーが始まるんで、当然相手もケアして来るんですけど、マークは関係なし。ボールがたくさん彼を経由して回って、うわー、楽しいだろうな、こんな風にできたらなーって。オレもボール触るの好きだしなー」
 日本サッカー界をリードし、野心的に前進を続けた中田英寿についても、中村は思いの外に饒舌に答えている。
「ドイツW杯の時は存在感がありすぎてチームにとけ込めず・・・なんて報道は聞きました。ホントは分からないんですけど・・・プレーヤーとしては好きなんですよ、オレ。3-5-2のボランチを代表でやるときとかは食い入るように見ましたね。やっぱり存在感があるし、縦に凄い強いくさびを打ち込むのが印象的だった。強すぎるな、と思うこともあったけど、やっぱりあそこで強く打ち込まないとゲームが動かないんじゃないかな、とも思っていました。
 実は自分もFWにはああいうくさびをいれるべきと思っていたんです。中田選手の姿を見て、間違っていなかったんだ、て思いました。ボランチが横パスを出すのは簡単なんですけど、縦にくさびを打てばやっぱり何かが起きるんですよね。川崎も前を向くと怖いFWがいるので、まずは前に預けてと言うのは考えていますよ。そうすれば今度はサイドも空いてきたりするんで」
 彼は一気に捲し立てたが、その口調には熱がこもっていた。プロに入って2年目でボランチという天職に遭遇し、日進月歩の成長を遂げるが、サッカーに対する情熱こそが痩身の男を支えているのかもしれない。
 入団当時から中村を知る川崎のCB箕輪義信は、後輩の変貌ぶりを賞賛している。
「昔は前に出るところと、後ろに引くところのバランスがまだ不安定だった。でもいつからかどっしりと構えるようになれて、もらってさばいて前に出ていく、と言うプレーが本当に良くなった。後ろから見ていても本当に上手くなったな、と思うし安心できるようになりました。もともと上手い選手でしたけど、悪い意味でのがむしゃらさがなくなって、いい意味での計算高さが出てきたんじゃないですか」
優勝争いを続ける川崎で、中村のプレーは輝きを増しつつある。11月4日の天皇杯でも、目の覚めるようなミドル弾を叩き込み、守りを固める鳥栖の守備網をこじ開けている。勝者としての自信をよりたしかなものにすることで、彼なりのペースで日本を代表する選手になるかもしれない。遅咲きの26才は、野に咲く花のようにひっそりと逞しく、いつか艶やかに。
「プロになっていなくても、どこかでボールは蹴っていたと思いますよ。草サッカーでもいいからやりたいと思っていましたから。サッカーのない人生なんて自分にはないというのがあったんで」
お知らせ | CM(1) | PAGETOP↑

★ COMMENT

このコメントは管理人のみ閲覧できます
2010.05.13 22:53 | posted by - | | EDIT |

★ COMMENT POST













copyright © 2007-2016 estadi14. all rights reserved.
 |ADMIN
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。