- スポーツライター・小宮良之のブログ -
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2010.10.15 Fri 19:03
トリノからソチ・・・
 こんなスポーツニュースが!

カーリング女子の日本代表として02年ソルトレークシティー五輪、06年トリノ五輪で活躍した小笠原(旧姓小野寺)歩さん(31)が、今季中にも現役復帰することが6日、分かった。トリノ五輪出場後、結婚を機に第一線から退いたが、年内にも北海道カーリング協会に選手登録する予定。すでに元五輪代表らメンバー3人を集め、新チームを結成する見込みで、14年ソチ五輪の日本代表争いに名乗りを上げる。

 、とのこと。
 小野寺さん、トリノでは貴重な取材をさせてもらいました。
 なんだか懐かしい。
 結婚後、復活して活躍する女性アスリートが多くなる中で。
 ノスタルジーとエールを込めて。

 「Sports Yeah!」のトリノ五輪号で執筆したルポを蔵出し。

 2月20日。スイスに勝てば準決勝進出が見える日本は、4エンドに大量4点を失い、7-2とリードを許す。だがスキップである彼女は諦めていなかった。スキップは試合の戦略を決定し、ラストショットを投じる。そしてどんな時もタフでなければならない。昔の自分なら悲観的になっていたが、4年間の経験は彼女を奮い立たせていた。
「粘ろう」。3エンド連続で3点。絶妙のドローを連発して、7-5と得点差を縮める。
 だが8エンドにチームは再びミスを連発。4点を失い、11-5に。今度はスキップの彼女は自ら相手に握手を求めた。それは降伏のサインだった。
「負けは認めたくはなかったけど、カーリングを知っている人なら、逆転不可能な点差と残りエンドだったので」。紳士淑女のスポーツ、カーリングは逆転が不可能だと知れば、自ら負けを認めて握手を求めなければならない。敗北を自ら告げる悔しさ。泣き虫の彼女はぐっと涙を飲み込んだ。
 試合が終わってからも必死に声援をくれるファンのスタンドに挨拶に行く。すると胸を打つ拍手が降ってきた。「五輪は終わった。メダルは取れなかったんだ」。そう実感すると涙腺が潤んだが必死に止めた。泣かないと決めていたのだ。だがふと見渡すと、見も知らない日本人が、さらにはイタリア人たちが自分たちのために手を叩いてくれている。その光景を見て、自分が、自分たちがやってきた記憶が蘇る。
 期待されたメダル候補が総崩れになる中で、カーリングチームの健闘に、日本人の多くが驚きと関心を抱いた。ルールさえ一般的に知られなかった競技が凄まじい勢いで日本人の日常に浸透する。
「リード、セカンド、サード、スキップが相手と交互にストーンを投げハウスの中心に投げた方が勝者。得点は相手よりハウスの中心に投げたストーン数。10エンドまで」。ルールが常識的に語られるようになった。日本人がカーリングに興味を抱いた。
「自分はカーリングに出会えたことに感謝している。楽しさをみんなに知ってもらいたかった。そのためにはオリンピックしかないと思ったんです。」カーリング日本代表のスキップ、小野寺は照れくさそうに、でも胸を張るように言う。
 彼女と彼女たちが紡ぎだした物語は、どこか出来過ぎのお伽話に聞こえる。
 北海道、常呂町に生まれた小野寺は、初出場した2002年ソルトレーク五輪で一敗地にまみれた。結婚などで現役を退いていく先輩たち。だが彼女は、「もう一度オリンピックに。負けて終わりたくない。メダルを取りたい」と強く思った。「カーリングはスポーツじゃない」という世論への反抗心もあった。五輪のチームメイトだった親友、林弓枝にその気持ちを打ち明ける。「やろうよ」。彼女はその賛同に心強い響きを感じた。
 だが、「五輪で勝てる環境で」と越境するも、青森スポーツ振興公社で働きながら競技を続ける毎日は、最初は臨時職員で生活もぎりぎり。将来の不安がせせり上がった。
「帰りたくて何度も泣きましたね」と小野寺は告白する。
「1年目は絶望に浸っていました。オリンピックに出る、と言い放って青森に来たのですが、家族から離れて新しい土地だし。なんの保証もなかったですから。林さんと”帰るに帰れないよね”と言っていました。一人だったら逃げていた。林さんがいなかったら今の私はないくらい」。お伽話は健気な娘たちに味方をするシナリオを用意する。
 1年後、彼女たちに賛同する3人の娘が現れた。目黒萌絵、本橋麻里、寺田桜子。彼女たちはカーリング選手として生きようとする小野寺と林に共感し、青森の大学に進学。「チーム青森」が結成された。
「彼女たちの決断には感動しましたよ」と小野寺は心を込めて言った。
「3人とは挨拶ぐらいの仲だったのですけど、日本ジュニアのカナダ人コーチ、フジさんが3人に”青森で一緒にやってみれば”と言ってくれたのも大きかったようです。私は大学を出てから青森にきたのですが、彼女たちは大学からで、すごい決断だったと思うんです。チームができてもオリンピックに行ける保証はなかった。その時、私は年上だし、この子たちの思いは絶対に裏切ってはいけないと思いました」
 彼女たちの強い決意は自信となり、日本代表の切符をかけた戦いでも、「絶対に負ける気がしなかった」という気概で勝ち抜く。そしてトリノ五輪で4戦で1勝3敗と負けが込んだ時、お伽話は佳境に向かう。
「前半は自分のミスで落としてしまったんです」。小野寺は口惜しそうに言った。
「スキップは勝敗に直接関わるポジションなので、チームメイトに申し訳なくて。このまま帰れない、と思いました。北海道から青森に行くすごい決断をした4年間はなんだったのかと。負け続けて帰るのなら4年前と同じだと。林さんにも”自信持って”と励まされて。それで吹っ切れました」。開き直ったスキップに導かれ、日本は凄まじい強さを発揮する。強豪カナダ戦、小野寺は痺れる試合を展開する。
「あの時は“ゴッドハンド”という状態でした。コーチによれば、どんなショットも決まることなんだそうです。ダブルテイクが簡単に決まる。丸見えのストーンを弾くのが定石のところで、隠れているストーンを叩きに行きましたから。なぜそう言う状態になれたのかは、やっぱりチームの人に恩返ししたかったのと・・・スキップとして自分のせいで負けて帰るのは絶対に嫌だった」
 カナダに勝利すると、ソルトレーク金のスウェーデンに延長に及ぶ善戦を演じ、英国、イタリアに連勝する。最終戦のスイス戦。物語はいかに完結するのか。人々は何もかも投げ出して一つのことに打ち込む彼女たちの放つ熱にうなされ始めていた。
「自分たちが頑張ることでカーリングを認めてもらう。それがオリンピックで自分に課した使命だった。結果的にメダルは取れなかったのは悔しい。でも、私はホントにいいチームに恵まれた。みんないい娘たち。メダルは取れなかったけど、メダル以上の何かは見せられたのかなと」。お伽話の主人公は、そう言って負けん気が強そうに笑った。

 激闘から2日後、リンゴットのショッピングセンターにある喫茶店。試合後はすべてのTV局に出演し、その日も取材を受けたばかりの小野寺は、カフェラテを頼んだ。
「小さな頃はカーリングは楽しくなかったんだ。それがオリンピックに出ているわけですから」。彼女はグラスに口をつけ、運命の不思議を語った。
「カーリングをしていた両親に連れて行かれて。今では常呂町は屋内のリンクがあるんですけど、当時は屋外でやっていて、見て待っているのは寒くて。嫌で仕方なかった。”カーリングに親を取られた”みたいな感じで(笑)。子供心に寂しかったのを覚えています」
 中1の時、「遊び気分で」林と同じチームでプレーを始める。軽い気持ちで始めたはずが、最初はスライドというストーンを投じる基本姿勢を取るだけでも体が痛い。普段使わない筋肉を伸ばすからだ。スウィープも思ったよりも体力が必要で、何よりも特殊な靴を履くと、リンクで立つことも難しかった。「きついし、失敗したかな」。最初は煩わしかったが、それでも「始めたものは続けたい」という頑固さで、辞めなかった。そしてキッカケが訪れる。
「98年長野五輪で、日本代表のスキップだった加藤さんに憧れて。常呂町でやっているときは身近だったのに、TVで見てなんかかっこいいなーと思うようになって。ジュニアでは結果を出していたし、このまま続ければオリンピックに出られるかもと」。夢だった教職を断念し、カーリング一本の道を選んだ。それは強引に何かを切り開いていくというより、まるでなにかに導かれるように。
 小野寺は今も青森市スポーツ総合施設で事務員を務める。3月一杯までオープンしているカーリング会場は1時間90分でプレーでき、彼女は手を取り足を取り教えることもある。「今日は暇だねー」と言い、隣の席の林とお菓子を食べながら雑談に花を咲かせたりもする。
「普段はおこちゃまで、おっちょこちょいで他の選手の方がよっぽどしっかり者」とおどける。ただ、「カーリングはスポーツじゃない」という声には我慢がならなかった。カーリングと生きることを決めた彼女は、その楽しさを多くの人に伝えたかった。その思いが届いた物語の終章。それはハッピーエンドだったかもしれない。
「今はゆっくりとオリンピックを振り返って、もう一度目指したいなと思えばやるし、振り返って満足していれば一線から引くかもしれません。続けるかどうか、今はイーブン。ただ、スキップはずっと萌絵(目黒)で、私は1年目だった。だからあと4年やったらというのはあります。8日からは全日本選手権に出場して、それからです」
 彼女は導かれるように生きる。それはどこかストーンの滑りに似ている。引力から解放され、ただ彷徨うだけに見え、どこか頼りなげでありながら、確固たる意志を持ってある方向に向かっていく。
-あなたにとってストーンとは?
「自分たちの夢を乗せるもの、ですかね。一投一投が人生を運ぶものですから」

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